「心交会」祠
瀬野川河川敷の右岸は、海田から中野東にかけて遊歩道となっており、散歩やジョギングする人々で日々にぎわう。遊歩道とJR山陽本線の狭間に祠らしきものがあるが、注視しないと気付かない佇まいである。
「由来 建立 昭和57年8月吉日
西暦810年(約1170年前)弘法大師が高野山に金剛峯寺建立以前 旧世能庄.中野権現.出張に立寄られた五穀豊穣.厄除神として祀られ永く村人に敬拝されたとの伝説あり.1632年(約350年前)当地一帯が大洪水と化し其御霊が流失したと伝えられたが1980年(昭和55年)3月或る女人より神のお告げで宍戸氏に此の御霊である三石が図解で示された。その後約1ヶ年10数人の手に依って川底を探策難苦の末1981年(昭和56年)9月2日に引揚られたものである。
左側(観世音菩薩) 正面中央(不動明王天神菩薩) 右側(弘法大師)
心交会」
「1631 寛永8 幸未(10)
8-14・15 暴風雨・高潮・洪水。広島新開の堤防決壊して城下に浸水。元安橋・猫屋橋・小屋橋・横川橋・猿猴橋・京橋流失。郡中の損耗も甚大(自得公済美録24)。」
広島県 編『広島県史』年表(別編1),広島県,1984.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9575545 (参照 2023-03-07) p.269(NDL ONLINE 141コマ)
「左側(観世音菩薩) 正面中央(不動明王天神菩薩) 右側(弘法大師)」
「心交会」なる組織団体については全くわからないが、清澄な有様から、信者(?)さんが現在も手入れされているのだろう。
2023-03-05 訪問撮影